【ヘアメイクの歴史】自眉は剃っておでこに描く?

浅井長政夫人像

江戸時代や明治の初期まで残っていた伝統的な化粧法に“剃り眉”があります。
“剃り眉”は“高貴さ”と紐ついた日本固有の文化でした。
本日はそんな剃り眉とその背景にある“美徳”を紹介します。

表紙の画像は「浅井長政夫人像」です。
眉が額に描かれていることがよく分かります。
ColBaseより作成

目次

どうして眉をおでこに描くのか?

人は相手の表情を読む際に、目(&眉)と口を見ると言われており、
眉の動きは相手の感情を読み取る重要な要素です。
日本では古来から、高貴な人は感情を表に出さないとされていたことが、眉を剃ることにつながったと考えられています。
眉を剃り、動きの少ない額に描くことで、ポーカーフェースの“高貴さ”を演出していたのでしょう。
参考文献:化粧をせずに生きられない人間の歴史 石田かおり

具体的な眉の書き方

江戸時代に京都で発刊され大正時代まで読み継がれた美容書「都風俗化粧(けわい)伝」には、以下の通り説明されています。
上図は同書より抜粋

  • 髪の生え際に白粉(おしろい)を濃く塗り、眉を描く部分は、象牙のヘラで白粉を取り除く。
  • 墨をつけ、眉の下端は象牙の箆(ヘラ)でカーブを整える。

まとめ

殿上眉(+お歯黒)は、日本固有の化粧文化でした。
江戸時代が終わり、明治期になると政府の意向で西洋化が進み、眉を剃る人は減っていきます。
当時は殿上眉が“美”として考えられていた訳ですし、価値観は変わりうるものということがよく分かりますね。

参考資料:
都風俗化粧伝 校注者 高橋雅夫
化粧をせずには生きられない人間の歴史 石田かおり著
ColBase

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